今 私が本当にやりたいことはなんだろう?
4月から関西に帰ってきて、大学病院に勤務しているが、今 私が本当にやりたいことをやってるかといえば必ずしもそうではない。
心身症の入院患者さんを診て治療するのはもちろん意義のあることだし、興味深くもある。
しかし、最終的に私がやりたいことはなんなのだろうかと考えたときに、
やっぱり、幸福な社会の実現だ。
不幸な社会の犠牲者を少しでも食い止めるために働きたいと思っている。
もちろん不幸な社会の犠牲者を救うのもそれは尊いことなんですよ。
でもそれでは、飛び火した周りの火を消しているのに過ぎず、元の火元は燃え盛る一方だ。
それなら何をすべきなのか改めて考えてみる。
うーん・・・・・・・・・・・・・
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やっぱり、アドラー心理学とマインドフルネスの普及だろう。
アドラー心理学ではカウンセリング、パセージがある。
アドラーのカウンセリングは伝統的にオープンカウンセリングである。ただ見学者の参考にはなるかもしれないが、基本的にはクライエントとその相手役のオーダーメイド治療。ライフスタイルまで食い込んだ問題を解決できる(こともある)が、対象範囲は狭い。
パセージは最高10人までの集団子育て講座。親を教育することで子供を勇気づけられるようにするのが目的(もちろん親も勇気づけられるが)。すなわち、対象範囲は親10人とその子供、そして子供が勇気づけられるということは将来の社会に影響を与えられるということだ。
マインドフルネスは各々流派があるが、基本目標はCompassionの育成。
そして、ほとんどは集団療法。私の経験ではコースを終わった人々は少なからず対人関係の改善を体験される。
すなわち対象範囲はパセージに近い。
パセージとマインドフルネスの違いはアプローチの違いだと思っている。
マインドフルネスが瞑想という手法を通じて、体感習得していくのに対して、アドラー心理学は言葉の力で理論的に習得していく。もちろんその理論を使って日常体験していくわけだが。
ともあれ、共同体感覚=Compassion(私見)を広めるのが目的だ。
どちらがいいとかはないと思うが、アドラー心理学は言葉で理論的に進めるので即効性がある。マインドフルネスは即効性はない、じわじわ体に染み込んでくるという感じ。
少し話が逸れたが、やはりアドラー心理学とマインドフルネスの普及のために私が何をしたらいいのかを考えて行動しようと思う。