勇気づけの歌 第十六節 主張的(アサーティブ)なコミュニケーションと嫌われる勇気
久しぶりのアドラー心理学の投稿だ。
最近アドラー心理学は何故か勉強する気が起きず、
しばらく休んでいた。
しかし、2018年になって、最初の投稿はやはりアドラーにしようと決心んした。
さて、勇気づけの歌
思いを相手にわかってもらうため
あるいは相手の思いをわかるため
まずは言葉で思いを伝えあう
言葉の力が関係作り出す(16)
(アドラーギルド)
十五節でも述べたが、思いをわかってもらうには言葉で話さなければならない。
黙っていても分かってくれるなどという甘えはやめよう!
空気を読むとか、相手の気持ちを考えて行動するなど、当たったとしてもたまたまだ、そういうことに期待すると、外れた時に相手を責めてしまうだろう。
それでは関係が悪くなってしまう。
黙っていて、「何で分からないの!」と言われても
そりゃ当然だ、言葉で話していないのだから。
黙っていても相手がわかってくれるはずだというのは傲慢ではないだろうか?
人間には言葉という与えられた能力がある。
何故それを使わないのか?
そういう人は非主張的という、最近流行りのアサーションでも出てくる。
自分の考えを伝えない人だ、相手は傷つかないが(その場では)自分が傷つく。
そう言う人はストレスを溜めて復讐的になってしまう恐れがある。
話のレベルは
- 雑談
- 真面目な話(目標の一致)
- 問題解決
のレベルがある。
誰でも1.では言葉で話すだろう。
2.から非主張的になる人がいる。相手に嫌われるのを恐れるためだろう。
かと言って相手の事を全く考えず自分の主張を押し通すのは攻撃的コミュニケーションと言い、
これはこれで良くない。
相手との関係が悪くなる=協力できない。
目標の一致ができるように自分の考えを伝えるのだ。
それには訓練がいるし、嫌われる勇気がいる。