価値相対論のパラドックス

価値相対論というものがある。

平たく言えば、様々な考え方(学問や宗教など)はどれも価値があり、どれが正しい間違っているということはないという考え方だ。

これはすごく寛容な考え方であり、争いが起こりにくいと思う。

しかしどんな考え方にも矛盾はある。

パラドックスの一つは

全部の考え方の価値を認めるとなると

自分の考え方を批判する考え方も受け入れなければならない。

「あなたの考えは〇〇が間違っている」

「そうかも知れない」

これはまずい、それでは自分の進む道に疑問を抱いて進むことになる。

もう一つは

「私は価値相対論は認めません、私の考えのみが正しいのです」

これは分かりやすいだろう、価値相対論を認めるならこの考えも認めなければいけないし、認めてしまえば価値相対論ではなくなる。

つまり、価値相対論は不寛容には不寛容ということで、完全な価値相対論はないことになる。

まあ、アドラー心理学的には完全なものはなくて、不完全でもいいということになる。

重箱の隅をつつくようなと言われればそうだが、こういうことを考えるのが楽しい。