「正しい」vs「間違っている」と「違う」vs「同じ」この違いとは?
よく世間では「違う」というのを「間違っている」という意味で捉えられることが多い。
文脈でそういう意味もあるだろうが、アドラー心理学やマインドフルネスではこの二つの言葉は意味が違っている。
「違う」=Different
「間違っている」=Wrong
である。Differentに良いも悪いもない。
「このアドラー心理学の解釈は私とは違っていますね」という場合。
相手が間違っていると言っているのではなくて、異なっていると言っているのだ。
「すずめとつばめは違っていますね」という場合、どちらが良いか悪いかはない。
どちらも価値がある。
自分と違うからと言って相手が間違っているというのは競合的だ。
アドレリアンは自分のことを絶対正しい唯一のものとは思っていないので態度が協力的だ。
野田氏も言葉はかなりきついものがあるが、実際話してみると非難されている感がない。
(多分言葉を字で見るとかなりひどいことを言っている)
野田氏自身も自分が正しいなどと思っていないのが感じられる。構えが協力的なのだ。
それはさておき、
「あなたは正しいです」ということも競合的だ、相手を価値判断している。
男と女は違っているけれどどちらも価値がある。
子供と大人は違ってるけれどどちらも価値がある。
そうやって協力的な横の関係を築けたらいいなと思う。