アドラーの言葉の意味を考える

「私の名前が残らなくなるとしてもそれでいい。それは私の考えがそれだけ普遍的な考え方になったということだからだ」

アドラーは言ったという。

果たしてその意味は?

今、アドラーの理論は認知行動療法交流分析などの心理療法、また7つの習慣など自己啓発の考えに影響を及ぼしている。これからも増えるかもしれない。

これをアドラーの考えが普遍的になったと喜んでいいのだろうか?

私は“違う”と思う。

アドラーの望んでいた事は、戦争のない世界であり、世界平和だ。

そのためには世界が協力的にならなければならない。

そのためには世界の人々が共同体感覚を持つ必要がある。

アドラーの目的は世界平和であり、そのための考えが普及する事を望んでいたのであって、単に理論を普及させたかったのではないと思う。

よりにもよって皆、共同体感覚だけ避けてアドラー心理学からひっこ抜いていく。

まぁ、共同体感覚はアドラー心理学の核なので、それを取り入れるとアドラー心理学との差別化が難しいが、、

結論から言うと、現在アドラー心理学の考えが、あらゆるところで散見されているが、アドラーの望んだようにはなっていないと思う。

アドラーの望んだ事は、共同体感覚が世界の共通感覚になり、協力的な考えが当然になる事ではないだろうか?

(しつこいようですが、この考えもあくまで私の仮想ですから)