投稿500回目 新型コロナが人々から本当に奪ったもの〜人と人とのつながり

投稿500回に暗い内容を書きたくはなかったのだが、今書いておかないといけない気がして書いておく。

新型コロナが流行りだして、人と人との繋がりが敬遠されるようになった。大勢集まっての会食はもちろん、あらゆる集会が中止される始末。

幸いオンラインという技術があったので、100%繋がりがなくなったわけではないが、オンラインは所詮オンラインで、対面で話しているのとは全く違う。オンラインで分かるのは五感のうち視覚と聴覚だけだ。触覚、嗅覚は遮断される。味覚はあまり使わないかもしれないが、例えば、その場の空気は舌で感じているかもしれないし、心理的緊張から口が乾いたり、苦くなったりするかもしれない。そしてその人の雰囲気が感じられなくなる。六識での意識(知覚)ともいうべきものなのか、対面での独特の感覚がオンラインではない。

そう思うと我々は人と話す時は六感を全て駆使して感じているのだなと思う。オンラインでの物足りなさは6つの感覚のうち4つを封じられたためだと思う。

自ずと人とのつながりも2/6になってしまった。ましてやオンラインすらもしなければ0になる。

これは社会的動物である人間には致命的だと思う。社会への所属感がなくなり、幸福が感じられなくなる。そのため快楽を求めゲームや動画の時間が多くなる。唯一良かったのは家族の時間が増えたことだろうか?それでも人間は家族だけの繋がりでは生きられない。

即効性はなくてもじわじわ人類が滅亡する方向に向かっている。繋がりのない人には信頼感が減り、疑心暗鬼になり、争いが生じやすくなる。人類を滅ぼすには繋がりを絶って信頼感をなくし、自分たちで争わせて自滅を待てば良い。何も致死的な効果を及ぼす必要はない。つまり共同体感覚をなくせばいいのだ。

そうして見ると共同体感覚が人類にとってどれほど必要なものか分かる。ただでさえ鈍くなっている共同体感覚をさらに育成する機会を奪えばどうなるか誰でも分かるだろう。相互尊敬、相互信頼のない社会それがどんなものになるだろうか?人間から社会への所属感をなくしたらどうなるのか?

我々が新型コロナに滅ぼされるとしたら、それは感染による死ではなく、社会性を奪われた人間としての死だと思う。