アドラー心理学、嫌われる勇気について
嬉しいことに、この前、このブログを見たという方からメールが来た。
その方も嫌われる勇気を読んで、アドラー心理学に目覚め、最近日本アドラー心理学会に入会されたそうだ。
そんなコアな人しか読者がいないのが難点だが、久しぶりに嫌われる勇気について考察して見たいと思う。
再三断っておくが私はアドラー心理学会の認定の講座やワークは一通り学んではいるが、無資格者なのでアマチュアだ。
そのつもりで聞いていただきたい。
そもそもなぜ嫌われる勇気というものが大ヒットしたかというと、嫌われるのを避けるあまり、やるべきことが出来なくて、生きづらい人が多くいるからだと思う。
つまり、嫌われるのが平気だ、構わない、自分のやりたいように生きている人には適応範囲外だ。
さてここで、勇気について述べたい。
アドラー心理学での勇気とは「したくなくてもすべきことはする、したくてもすべきでないことはしない」ことを言う。
逆にこれができない人を臆病という。
すなわち勇気づけとは勇気ある行動を取れるように援助することだ。
そこで難しいのは何がすべきことで、何がすべきでないことか?だ。
ここをはっきりさせないと勇気ある行動が取れない。
これは共同体感覚に基づいている。
「これはみんなにとってどういうことだろう?みんなが幸せになるために私は何ができるだろう?」
と考えて行動することだ。
それで自ずとすべきことが見えてくる。
反対は「これは私にとってどういうことだろう、私が幸せになるために私は何ができるだろう?」
と自分の幸せのために行動することは自己執着という。
この本は嫌われてもやりたいことをしろというのではなくて、嫌われるのを恐れて勇気ある行動が出来ない人に
嫌われても共同体感覚に基づいた勇気ある行動をしましょうね
と推奨している。
図で考えてみると。
1.勇気ある行動をするー好かれる ◯
2.勇気ある行動をするー嫌われる ◯
3.臆病な行動をするー好かれる ×
4.臆病な行動をするー嫌われる ×
である。
2を恐れるあまり3をしている人に、恐れず2をしましょうと言っているのであって、4をしろと言っているのでは決してない。
例えば、某ドラマのように、子供が欲しがっている最後のケーキを話すこともなしに自分が買ったり、捜査のチームの会議など無駄なので自分は出ないとか、自分のやりたいように生きている人は4に当てはまる(ことが多い)ので、むしろ重症かもしれない。
私は嫌われる勇気がある、と言っている有名人などは、実は勇気ある行動をしていないので、アドラー心理学的には「嫌われる臆病者」だ。