パセージ第4章 1

以前も述べたがアドラー心理学の子育て論はドライカースの本によく書いてある。 アドラー心理学の本は訳が多いのもあって、難しいのが多いのだが、これは事例がいっぱい出ているので分かりやすいと思う。 是非、一度読んで見てください。 パセージに書いてある事も多く出てきますよ(というかこちらが元なのだが)。

いよいよ共同の課題に入る。 前章で徹底的に課題の分離の訓練をしたら、次のステップは共同の課題だ。 まずは 子供の課題を共同の課題にする。これには3つある。 (1)子供から親に頼んで来たとき。 (2)子供の行為の結果、親が迷惑をこうむったとき。 (3)親から協力を申し出て、子供が了承した時。 だ。この章では(1)(2)だけ扱っている。 (3)は第5章だ。 まず、(1)だが、勝手に親が察して手伝うのはもちろん良くない。 基本は自分の課題は自分で解決するのが望ましい。 しかし、出来ない事もあるだろう。 そんな時は子供が「言葉で」お願いして来た時だけ手伝う。 手伝ってほしそうに見ていてもそこで「空気を読んで」手伝ってはいけない。 もしそうしたら子供は何を学びますか? そう、困ったそぶりを見せたら親は何も言わなくても手伝ってくれるということを学ぶだろう。 パセージの行動面の目標は「自立する」なのだからこれでは目標達成できない。 言葉ではっきり頼まれてから手伝いましょう。 もし、そぶりを見せてすごくアピールして来たら、「何かお手伝いすることはありますか?」と聞いて「手伝って」と言われたら手伝うことができる。 もちろん、断る事も出来ます。 というか無理な時は無理と言わないで子供の都合ばかり優先したら子供は何を学びますか? 手伝ってといえばどんな時でも自分の都合のいいように手伝ってもらえる。 これも自立する、社会と調和して暮らせるに反している。 つまり勇気くじきになるのだ。 (2)は親もしくは他の人がが迷惑を被った時は、やめてほしい、もしくはこうしてほしいと子供に頼むことができる。 人の迷惑な行為は社会と調和するにはやめたほうがいいし、これは共同体感覚の育成にもつながる。 ただし、この「迷惑」がくせもので、実体的な迷惑しか共同の課題にしない方がいい(最初は絶対しないと心に決めるくらいの方がいい)。 実体的な迷惑とは客観的に見て迷惑と分かること、身体的、金銭的迷惑のこと、もう一つ心理的迷惑がある、これは主観的で本人には迷惑と感じるが他の人は分かりにくいもの。例えば、黄色の服は嫌い、髪の毛が長いのは嫌とか。 そういうことは親の課題なので親が解決すべき問題なのだ。 親の課題を共同の課題にする事もできるが、こういう場合はしない方がいい。それについては次回に