岸見一郎氏質問会に行ってきた!

本日は岸見先生と語る会〜アドラー哲学 質問の夕べ〜と言う会に参加してきた。これは2時間全部会場からの質問に岸見氏が答えると言う会だ。講演はないのでアドラー心理学の知識が少しはある人向けだ。前回、テレビドラマ嫌われる勇気の対する論争に思うことで述べたが、その渦中(?)にいる人に直接話を聞きに行った。私は例えどんなに自分が尊敬する人だろうが、他人に対する意見をそのまま鵜呑みにすることを嫌っている。自分で判断したいためだ。そのためには相手の話を聞かなければ判断のしようがない。我々にはテレパシーはないし、私は文章や創作物からその人柄や考えがわかるほど達人ではない。でも大丈夫!我々には言葉という大きな武器があるのだ! 会場は40〜50人ほどいただろうか?満員状態だ、しかも円になって席が設けられているので、どこからでも相手の顔が見える。以前岸見氏の講演会+質問会に参加した時は質問者が我先にと手を上げてなかなか質問が出来なかった。今回も50人もいるので質問は回ってこないかもと思っていた。しかし、意外にもそう皆さん積極的に質問されないようで、比較的早く質問できた。私の質問は、アドラー心理学アドラー以後100年経っていてその間にも数々の人が考えを追加してきた。今の日本でも色々な書籍や考え方が広まっている。岸見氏が考えるアドラー心理学の核、一番伝えたいことは何ですか?というものだった。岸見氏の答えは他者貢献 social interest、他者に関心を持つこと、自分にしか目がいかない(self interest)ではなく社会に貢献するということがアドラー心理学で一番大事なことだと思うと言われた。いわゆる共同体感覚だ、そしてもう一つ付け加えるなら横の関係でしょうと言われた。縦の関係で他人を操作、支配することのない横の関係が大事だと言われていた。 もう一つ欲張って、課題の分離を強調しすぎると自分にしか目がいかなくなりませんか?と質問してみた。これは庵堂蘭子のキャラクターにも関係する。岸見氏の答えは、課題の分離をするのは誰の課題であるかということを整理することによって援助しやすくするためだ、もつれた糸のように誰の課題かがはっきりしていないと援助できない、課題の分離の目的は協力!とのこと。これは私が今まで学んできたアドラー心理学と同じものだ、全く違和感はない。少なくとも庵堂蘭子の課題の分離とは違う。 まとめると、岸見氏は 1. アドラー心理学で一番大事なのは共同体感覚 2. 横の関係も伝えたいことの一つ(縦の関係で他者を操作、支配することを嫌っている)。 3. 課題の分離は協力のため。 と考えておられるようだ。 私は全く違和感を感じず、今まで学んできたアドラー心理学と矛盾点を見つけ出せなかった。 では、何故、日本アドラー心理学会から抗議文が送られるような違和感がドラマにあったのか? また、書籍嫌われる勇気にも何割かの違和感があったのは何故か? これは私の意見なので(その前も私の質問の言葉、岸見氏の回答以外は仮想だが)そのつもりで読んで頂きたい。 アドラー心理学をエンターテインメントとして伝えようとしたため、誇張した言い切り口調を使用したからではないかと思う。事実トラウマの質問が出ていたが、岸見氏はトラウマはないことはない、しかしトラウマに縛られている人には「ない!」と否定するくらいでないと伝わらないと言われていた。確かに一理ある。トラウマを原因にしている人はないことはないと言ったら統覚フィルターでやっぱりあるんだという解釈をしてしまうだろう、都合のいい部分だけ残るからね。実際はトラウマが原因で今の症状が決定されているということを否定しているだけで(目的論)。ないとは思っていないということだ。その他にも強い言い切り口調で文章を書かれているために誤解を生んだものと思われる。登場人物も架空の人物なんだし、完全フィクション文学にすれば良かったのかも知れない。ドラマは完全にフィクションでエンターテインメントであり、アドラー心理学の啓蒙作品ではないと言われていた。それはそうだろう、こういう考えを持たれている岸見氏がアドラー心理学を伝えるためにそんな番組を許すはずがない。 要するに伝え方に対する双方の考えの違いがこのような事態を生んだのだと思う。 しかし、アドラー心理学会がこのように過敏に反応するのもわかる気がするのだ。彼らにとってはアドラー心理学は本当に大事な大事な子供のような存在で自分よりも大切に思っているものなのだろう、それが危機にさらされたと感じ、このような対処行動に出たわけだ。実際、アドラー心理学は本当に理解することが難しく、ましてや実践するとなれば毎日の生活レベルで身につけないと無理だ(理論だけでなく、共同体感覚があるため)。だから爆発的には広まらないし、マイナーな位置に置かれていた。それがさらに迫害されるとなったらどうだろう?まさに絶滅の危機に陥るかも知れない。 そう考えると今回の出来事も共にアドラー心理学を愛するゆえの行き違いが原因のような気がする。どちらもアドラー心理学を愛しているのだ、(http://mind-adler.com/2017/03/26/kirawareruyuuki01/)で述べたF氏ももちろんアドラー心理学を愛している。愛していなければ、そんなにムキになってブログにコメントしたりしない。HG社のI氏も然り。 F氏、I氏とは直接話したことがないので分からないが、少なくとも私が見た岸見氏とアドラー心理学会が教えているアドラー心理学は同じだ。であれば共同の課題が見つけられて協力できるのではないだろうか?この危機こそアドレリアンらしく協力する勇気をもつ時ではないだろうか?